
ホテルを9時前に出発。まずは昨日、雨に降られ写真が上手く撮れなかった「八幡原史跡公園(川中島古戦場)」の「八幡社」に再び戻って来ました。この八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝えているそうです(『甲越信戦録』)。左手奥に見えるのが昨日雨の中写真を撮った「信玄・謙信両雄一騎討ちの像」で御座います。
■ドラマの放映記念の「信玄・謙信一騎討ちの像」

結局木立の陰に入り、上手く写れてないのが残念なのですが、とにかくここまで来た記念には、なりました。(笑)この像は、永禄4年(1561)の川中島合戦で、武田軍の本陣に攻め入った謙信の太刀を信玄が軍配で受け止めたとされるエピソードから、海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)原作のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映(昭和44年)を記念して建立されたものだそうです。
■武田軍本陣ゆかりの「逆槐」


「八幡社」のすぐ脇にある「逆槐(さかさえんじゅ)」。
永禄4年(1561)の川中島合戦で、山本勘助の進言によって「啄木鳥(きつつき)の戦法」をとることにした武田信玄が、上杉軍挟撃の本陣をおいた際に、土塁の土留めとして自生していた槐(えんじゅ)の木を逆さにして打ち込んだものが、やがて芽を出し大樹になったと伝えられているそうです。木の周囲に残る低い土塁は、信玄本陣を示す桝形陣形跡だそう。こ、ここに晴信や勘ちゃんがいたんですねー。ニニさんも「孫子の旗」を持って晴信たちの闘いに思いを馳せます。
■謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられる三太刀七太刀之跡の碑


謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられている「三太刀七太刀之跡の碑(みたち・ななたちのあとのひ)」。永禄4年(1561)の川中島合戦で、信玄の本陣に切り込んできた上杉謙信が、床几(しょうぎ※)にかけている信玄めがけて三太刀斬りつけたそうです。信玄は立ち上がり、手にした軍配団扇で受け止めたのですが、腕に二箇所の傷をおってしまいます。後で信玄の団扇を調べてみると、刀の傷が七つもあったそう。場所は(↑)の「逆槐」のすぐお隣。歩いて3歩くらい?ニニさんもそのまま横移動してすぐにパチリという事になりました。
■ついにやって来ました!「山本勘助の墓」




千曲川の川縁にある「山本勘助の墓」。
永祿四辛酉九月十日、川中島の役で戦死し、東寺尾村松原に埋葬された勘ちゃん。しかしながら、千曲川の沿岸であったため、水難を恐れて、元文四年(1739)松城藩士、原正盛が遺骨を収めてこの地へ改葬し、文化6年(1809)には勘助の没後250年にあわせて、同藩鎌原重栄が川の自然堤防に建っていた信州柴阿弥陀堂(しば・あみだどう)の境内に遺骨を移し、墓碑を建立したと伝えられています。
大河ドラマ以前はかなり寂れていたそうですが、今では綺麗に整えられ、周囲には案内看板(写真3枚目)や武田菱を象った花壇(写真4枚目)も作られていました。墓の前では、観光案内のおじさんが、勘ちゃんのおいたちや墓の歴史を丁寧に説明してくれます。撮影前に内野聖陽さんや柴本幸さんもお墓参りに訪れたそうで写真も飾ってありました。おじさん曰く「由布姫役の柴本幸さんが背が高くて驚いた」そう。
■勘助の遺骨が移された「信州柴阿弥陀堂」

↑「勘助の墓」から表通りに向かって4〜5分のところにある「「信州柴阿弥陀堂」(しんしゅう・しば・あみだどう)は、もともとは、現在「勘助の墓」がある場所にあったのですが、現在は、代々墓を守ってきた吉池家の宅地内に移築されています。中に上がることも出来、吉池家の子孫の方が、ゆかりの資料を見せてくれたり、伝え聞いた伝承などを丁寧に聞かせてくれます。私は足が悪く畳に座れないので、残念ながら、表からちょっとだけ覗いて阿弥陀堂を後にしました。
■勘助が築城した「海津城」



勘助が築城し、甲州流築城の模範になったといわれる名城で、激戦となった第4回川中島合戦では、信玄がここを基地として出撃します。初代城将は、晴信の小姓、春日源五郎。のちの春日虎綱。大出世です!築城当時は「海津城」と呼ばれていましたが、関ヶ原の戦いの前に当時の城主森忠政(もり・ただまさ)が「待城」、その後松平忠輝(まつだいら・ただてる)が「松城」と改め、真田三代藩主幸道(ゆきみち)のときには「松代城(まつしろじょう)」と改められたそうです。
写真は城跡にある当時の城の有様を描き起こした「城の案内図」(1枚目)と「海津城正面」(2枚目)、裏手の「太鼓門」(たいこもん)方面(3枚目)で撮った物。テレビで放映しているだけあって観光客で賑わっていました。時間もお昼に近づいて来たので、「城正面」に面しているお蕎麦屋さんでお蕎麦を食べ、山梨・北杜市へ向かいました。
■大河ドラマのセット「風林火山館」


最後に私達が訪れたのが、山梨県北杜市にあるこの「風林火山館」。写真は「大手門」の前で撮った物(1枚目)と大手門から中へ入り「主殿」の前で撮った物(2枚目)の2枚です。
大河ドラマ「風林火山」のオープンセットとして、北杜市長坂町の県営八ヶ岳牧場に特設されました。建築は、東映株式会社が請負い、時代考証に基づいて武田家の本拠地・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を見事に再現したそうでして、あのテレビで写っている建物を実際に見る事が出来るんですー!かなり重厚に作られていて見応えがありました。
<参考>北杜市観光協会 特集 風林火山
今回の1泊2日の旅は、地味ながらも、いろいろと勉強になりました。今まで近くにあっても遠い場所だと思っていた長野を身近に感じる事が出来、馬刺し、お蕎麦とご当地の食事も堪能出来て楽しかったです。ニニさんについては、回るだけで精一杯で、どれも同じような写真になってしまったのが、残念と言えば残念でした。大抵のところでは、それ程人目が気にならなかったのですが、最後の「風林火山館」は、駐車場に入るのに20分。行列が出来る程、混んでいたので、ニニさん撮影中にじろじろ見られ、ちょっと恥ずかしかったです。(汗)まあ、今更、何を…って感じですけれどね。
尚、記事を書くに当たり長野市「信州・風林火山」特設サイト 川中島の戦いページを参考にさせて頂きました。心から感謝と御礼を申し上げます。
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